大崎駅の「アトリエ・ヘリコプター」までやってきました。目的は「財団、江本純子」の「売るものがある性」を観るためです。
公演情報
団体 | 財団、江本純子 |
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作・演出 | 江本純子 |
キャスト | 市川しんぺー、佐久間麻由、荻野友里、本山歩、江本純子 |
劇場 | アトリエ・ヘリコプター |
上演時間 | 100分 |
アトリエ・ヘリコプターについて
作・演出の江本純子が「ライチ☆光クラブ」の演出をやっていた、ということだけで何も前情報もなしに観に行ったのですが、例のごとく、劇場もお芝居も初めてです。
今回の劇場である「アトリエ・ヘリコプター」は「五反田団」の前田司郎のアトリエらしいのですが、この劇場、寂れた民宿を改修したような建物で、まず「これが劇場なの?」と驚かされます。地図片手に訪れましたが、一愚痴そばに今回の舞台の立て看板がなければ、わからなかったです。
まずは大崎駅からアトリエ・ヘリコプターまで徒歩5分以上かかります。一度憶えればかんたんにたどり着けるほど道はわかりやすいのですが、行ったことがなければ地図はあったほうがいいです。
劇場までの道程はどこかしこも工事中。おそらく東京オリンピックに向けて大がかりに土地開発を実施しているのでしょう。ぼく個人としては、これを見れただけでも来た価値はあったと感じるぐらい、異様な雰囲気です。行ったことのない方はぜひ行ってみてはいかがでしょう。こんな空間、そうそう体験できないですよ。
そんな道を歩いていくと、アトリエ・ヘリコプターです。訳あって正面からの写真は撮影できませんでしたが、こんな建物です。劇場に見えないでしょう?
でも中がおしゃれなんです。古い建物を活かしたインテリアなど、非常にこだわった作りになっているし、前田司郎関係のポスターもいい味を出していました。
どんな舞台?
下手奥に出入口があり、そのすぐそばに白い箱と、その上に置かれたMacBook(でもこれはあくまで映像を操作するための装置であって、演劇的な小道具ではない)。舞台奥の壁にはワイヤーフレームで描かれた箱のようなものが映像で映し出されており、そのライン上を白いゴムが実際に伸びて、壁や扉にまで続いています。上手奥には扉がひとつ。上手手前にも扉がひとつ。非常にシンプルな舞台空間です。
近頃、こういう劇場っぽくない劇場に行くことが増えたような気がしますが、なんだかいいですね。そりゃ、快適さとかは座・高円寺とかには比べ物になりませんけど、でも何が始まるんだろうというワクワク感は、こういう劇場ならではですよね。
どうだった?
どこまでが本当の話で、どこまでがフィクションなのかわかりませんが(あるいはすべてフィクションなのかもしれませんが)、主宰の江本純子の親族(主に母親)をそのまま登場人物にして、おそらく江本純子の両親や彼女本人の、その時々にあった思い出話を切り取って、舞台化したような作りになっています。
親族の昔話や、パン工場のアルバイトの話や、両親の思い出や、演劇の稽古中など、様々なシーンが、繋がっているのかいないのか、断片的に現れては消えたり繰り返されたりします。
今回、おもしろいのが、そんなお話なのに、諸事情で主宰の江本純子本人が出演してしまったことです。この話で自分自身が出演してしまう危険性を理解していたでしょうから、意地でも出演しないよう努めていたと思います。ただ、結局は出演せざるを得なくなって、あえて逆に出番をかなり多くしたんじゃないでしょうか。結果的にそれのおかげで、いい意味で非常に危うい舞台になりました。まさに、ライブ。これぞ生の舞台です。本来の役者が降板して、演出家としても大変なのに、代役として本来役者をするはずじゃなかった舞台に上がったりと、彼女の負荷はえげつなかったと思いますが、それだけに本当にすごい舞台でした。
しかも、そんなお話でありながらも、役者それぞれが固定の役を持っておらず、立場を入れ替わり立ち替わりで演じ変えて、Aという役者がBという役を演じていたのに、いつの間にかCという役者がBを演じて、Aという役者はDを演じていた、というのがことが当たり前のように行われるという、結構難しいことをやってのけている作品です。
目の前で繰り広げられているのは間違いなく演劇なのですが、題材のせいもあって、リアルとフィクションの境界線が非常に曖昧で、「いま自分は何を観ているんだろう?」と不可思議な気分にもなってきます。あの感覚はそうそう味わえません。
また、パン工場のシーンでは、BluetoothスピーカーをiPhoneで操作して懐メロやボーカロイドを流しながら突然繰り広げられるコンテンポラリーダンスのような、なんとも言いようのない身体表現が主になっていて、かと思いきや急に会話劇になったり、男女関係なく唐突に下品な用語を連呼するなど、その構造ははっきり言ってめちゃくちゃで、エッシャーのだまし絵に迷い込まされた気分。だんだんと散らかっていく舞台もそれに拍車をかけています。
実のところ、最初は異様な空間に圧倒されっぱなしでした。あまりに突飛で、楽しみ方がちょっとわからなかった。でも次第に、さっき書いた「リアルとフィクションの境界線の曖昧さ」にいることがめちゃくちゃ楽しかったんです。
ぶっちゃけた話、話の内容はほとんど頭に残ってません。でも、いいんです。あの空間を堪能できただけで充分なんです。こんな芝居、めったに味わえない。
まとめ
劇場らしからぬ劇場で繰り広げられたお芝居らしからぬお芝居でした。
劇場を出ると、少しだけ肌寒くて、ぼくは思わずため息が出ました。
どれだけのひとが楽しめたのかわかりませんが、ぼくにとってはこの日、あの空間にいられたことは幸せな楽しい時間でした。発想がすごい。なんというか、もう何も言えません。
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