2015/05/10

ブラック企業と戦う小説「蟹工船」を読んでみた

青空文庫で読める「蟹工船」を読んでみたら、思った以上にブラック企業と戦う小説だったので、思わず読みふけってしまいました。

数年前にずいぶん流行ったのもわかります。これはたしかに、いまの時代にも通じるものがありますね。

いまも昔も変わらない「ブラック企業」

短めにがっつりネタバレしますと、東北地方から出稼ぎのために蟹工船へ乗り込んだ労働者たちが、死人が次々出るぐらい厳しい労働環境に抵抗するためストライキを起こすという話です。

昨今、ブラック企業がどうのこうのという話がよく出てきますが、「蟹工船」はいわば、それの最たる形です。ひととして最低限の生活はできない、規定外の休みなんて以ての外、死人は当たり前に出てくる、絶対君主……いろんな要素がわんさか出てきます。

おまけに船は、

蟹工船は「工船」(工場船)であって、「航船」ではない。だから航海法は適用されなかった。二十年の間も繋ぎッ放しになって、沈没させることしかどうにもならないヨロヨロな「梅毒患者」のような船が、恥かしげもなく、上べだけの濃化粧をほどこされて、函館へ廻ってきた。

という記述の通り、めちゃくちゃ古くて汚くていまにも壊れそうな船を蟹工船として使い続けているので、まずこれだけで乗組員のモチベーションはダダ下がりでしょうし、何ヶ月も身体を洗えない労働者たちの臭いが立ち込めて、まともに過ごせるような衛生環境ではないわけです。

そんな中、労働者たちはなぜ船に乗るかというと、稼げる金額が他の労働より段違いに高いから。逆に言えば、それだけです。この辺り、昨今の「正社員」と似てますよね。正規雇用の資格を維持したい、金銭的事情から辞められない、再就職の困難さといった理由から逃げ出せないブラック企業の社員と、中身は違えど同じ心理です。

また、おもしろいのが、作中に「浅川」という蟹工船の監督者が出てきて、蟹工船は彼の絶対君主制に陥っている状態のため、浅川に対して何かしらの復讐心や憎悪を持つ人間が多々現れます。だのに彼ら、なかなか動き出さないんですよね。動き出せないというほうが正しいと思うんですが、終盤まで、浅川への憎悪はただの愚痴という形でしか出てこない。そんなことをしようものなら……というリスクが付きまとって、なかなか立ち上がることができない。この辺りも、いまでも理解できる部分ではないでしょうか。

けれども、そんな労働者たちが、最終的にストライキを起こすサクセスストーリー……となれば、この小説が流行るのもわかる気がしませんか?

こんなふうに、「蟹工船」はいまでも、いや、むしろいまだからこそ共感できる作品なわけです。

ひとりでは戦えないひとたち

この作品、主人公なる人物がおらず、一部の人間を除いて名前が出てきません。そのため、労働者はただ「労働者」とひとくくりに描写されます。もちろん、場面によって、労働者個人の話も出てきますが、それはただ作品の彩りのひとつにすぎなくて、彼らは常に「群衆」として扱われます。

彼らは絶望的に力がない。しかも「金」が必要だから逆らえない。けれど、彼らの最大の武器はその人数。一対一じゃ敵わないけれど、一対多なら……。そうやって、数を力に変えて戦うことができました。

ところが、一度、失敗します。失敗するのですが、労働者たちは諦めませんでした。

「そうだよ。今度こそ、このまま仕事していたんじゃ、俺達本当に殺されるよ。犠牲者を出さないように全部で、一緒にサボルことだ。この前と同じ手で。吃りが云ったでないか、何より力を合わせることだって。それに力を合わせたらどんなことが出来たか、ということも分っている筈だ」
「それでも若し駆逐艦を呼んだら、皆で――この時こそ力を合わせて、一人も残らず引渡されよう! その方がかえって助かるんだ」

一度目の失敗で、全員が力を合わせれば勝てるかもしれないと労働者たちは考えられるようになったのでした。

まったく無力だった彼らがひとつの絶対的権力に対して「ストライキ」という形で戦えるようになったのは、中盤で登場するロシア人から「プロレタリア」に関して入れ知恵を受けたことが発端となり、あとは労働者たちがみな共闘の意識を持ち始めたことが最大の理由でしょう。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」ではありませんが、日本人は単独で何かをするにはもたついてしまい、何をするにしても集団でないとなかなか動き出せないという話はみなさんも聞いたことがあるでしょう。

作者の小林多喜二が日本人のそんな習性に気づいていたかは定かでありませんが、そのあたりも作品のリアリティに拍車をかけていますね。

それではせっかくなので、「蟹工船」を「ブラック企業」に置き換えて、考えてみましょう。

そうした場合、作中の労働者と同じようなことを現代社会において実際に行おうとすると、どこに壁があるでしょうか?

ぼくはやはり、数だと思うんですね。

いまでこそ、労働基準法が整備されていますから、ブラックな労働環境であれば、労働基準監督署に駆け込めば対処してくれる可能性もあります(残念ながら、そうならないこともあるという話も耳にしますが……)。ただ、現実問題、「残業代ゼロ」なんてものを持ち出すような政府ですから、実態として今後も戦うための武器となりうるかどうか、なかなか判断し辛いところです。

そうなってくると、本当はブラック企業のあおりを受けている、現代の二十代三十代が「蟹工船」と同じように、ストライキを起こす必要があるのかもしれませんが、そのストライキはだれに、だれと、どうやって起こすのか、という壁が立ちはだかります。

大企業ならいざ知らず、中小企業で共に戦ってくれそうな人員はいますか? 仮にぼくがストライキを起こすとしたら、戦ってくれそうな人員はひとりしかいません。しかし、ふたりでストを起こしたところで、適当にストライキを鎮められて、会社から席を失くされるだけで終わるでしょう。リスクを考えた時、やっぱり「ストライキ」という形を取るのは難しいのかなあ、と思ってしまうわけです。

とはいえ、「ブラック企業反対!」と主張したり、「ストを起こそうぜ!」という記事ではありませんので、この話は止めにします。

まとめ

ちょっと回り道しましたけれど、この小説、スピーディーで結構おもしろいんです。

上記で散々書いた通り、「ブラック企業」が問題になっている現代社会において、一読しておいて損のない作品です。

それこそ、「自分はホワイト企業に勤めている」というひとなんかは、特に。いま、そういう部分にまったく関係ないひとであれば、絶対的権力に抗えない無力な労働者がどういう思考に陥るのかを知っておくことは大事です。

それから、もし、現実に労働環境で苦痛の日々を過ごしていて、泣き寝入りしそうな状況のひとがいれば、この小説は読んでおくべきでしょう。「戦え!」なんて言うつもりはありません。何らかの手段で「抵抗する」ことを考えるべきなんです。

「蟹工船」の労働者たちは、このままでは死んでしまうけれど逃げられないから戦ったわけです。戦わなければ絶対に死ぬとわかっていたからです。逃げられるんだったら、逃げてしまえばいい。それも立派な「抵抗」です。

いずれにせよ、こういう作品がこの時代にすでに存在していたことが驚きの質です。労働環境はいまも昔も変わらず大切なことだということが、非常によくわかる作品です。

青空文庫で読めますので、興味があればぜひ。

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