2015/05/06

所詮、上司や同僚の声なんて雑音でしかないんですよ

少し前に入社時に優秀な社員は数年後にはダメ社員だという記事があり、ちょっと気になっていて、Pocketに保存していました。

改めて目を通してみると、「ああ、わかるなあ」と思う反面、「そうかな?」と感じることもありました。

いまの時期、新入社員のひとたちは、ゴールデンウィークも終わり、ちょっと気が抜けてくる季節です。いろんなこと言われちゃって、嫌な気持ちになるひともいるでしょうし、「やっぱりこんな会社やめておけばよかった」なんて文句も出てくるかもしれません。

それってみんないっしょですよ。あんまり気にしなくていいんです。

優秀なひとはダメになる?

さっきの記事って、「意外とこういうもんだよ」という目線で書かれている記事だとは思うんですよ。だけど、こんなこと、実は珍しいことでもなんでもなくて、いろんなところで見かけたことありませんか?

部活動だったら、経験者と初心者が入部して、いつの間にか初心者のほうが経験者を抜いていた、とか。

勉強だったら、ふだんからがんばっていた子と、受験シーズンになって急に努力を始めて、ぐんぐん伸びていってしまう子、とか。

オーディションで、友達を誘ったらその友達が受かっちゃった、っていうのももしかしたら同系統の話かもしれませんね。

でもこれって、だからと言って、「優秀」と扱われていたひとがダメになったわけじゃないと思うんです。

  • もとからそのひとの限界に近づいていた。
  • やり方をどこかで間違えちゃったんだと思うんです。
  • ダメなほうに才能があった。

たぶん、こんなふうに、いろんな要素があって、それがたまたま目立っただけだと思うんです。

元の記事に「優秀だった子は伸び代がなくて、最初ダメだった子に抜かれることが多い」なんて書かれていますが、ライターの感覚でそう見えるだけであって、本当にそんな統計、取ったんでしょうか? ただ、印象深かっただけでは?

そうなんです、ダメなひとがいつの間にか優秀になると、周りにとって、そのひとはものすごく印象的に映るんです。たぶん、このライターさんもその錯覚に陥っているだけなんじゃないかと思うんです。

目立っていたひとが目立たなくなる。代わりに目立たなかったひとが目立つようになる。そりゃ、周りから見れば、「優秀なほうよりダメなほうがすごい」になりますよね。

意識高い系と意識高いは違う?

ぼくはなんとなく、「意識高い系」にも通ずる話のように感じます。

よく周りからバカにされる「意識高い系」。たしかに就活に行くと、それっぽい就活生があまりにも多く(ぼくが就活していた時にもいました)、バカにされる理由はわからなくもないです。

そんな「意識高い系」が嫌われる理由は、言葉と実体が伴っていないから。言うことはカッコいいけど、でもやってることは違うよね、っていう、ただの見栄っ張り。

けれど、見栄っ張りでも、何もせずに外から文句を言う「意識低い系」に比べれば、「意識高い系」のほうが世の中にとってはいいです。でも、叩かれますよね。目立ちますもんね。

出る杭は打たれる

いい言葉ですよね。ぼくは海外で生活しているわけではありませんが、この「出る杭は打たれる」慣習は非常によく感じます。

しかも厄介なのは、出ている杭を打った後、打ったひとは別の杭が出ていることを賞賛するんです。本来なら打つであろう杭が出っ張っていることに対し、「おお、なんとなくデザインに見えるじゃないか」と錯覚を持つようなものでしょうか。例えが悪くてすみません。

業務上、いろんな会社に出入りすることがありますけれど、やっぱりどこの会社に行っても、目立つ人間は異様に叩かれます。だから、だれしも目立たないようになるんです。

たとえば、ぼくが行っていた会社ですけど、そこかしこで担当者の悪口があったらしいです。もちろんぼくの目の前ではありませんでしたが、業務中はわりと日常茶飯事だったようです。

さすがにこれじゃいけない。

目立て、とは言いませんが、目立つからといって何もできなくなるのはダメです。かといって、目立ちたいから変なことに手を染めるのも絶対にダメですけど。

おかげでその担当者は、あるタイミングで責任ある言葉を発さなくなりました。周りに負けちゃったんですね。

新入社員のひとではあまりわからないかもしれませんが、何年かしてくると、出ようとしない杭はだれも気にかけないし、評価もしないんですよ。

それどころか、埋まっちゃったままネガティブなことばかり言い続けるひとは、下手すると土に埋められちゃうかもしれないんですよ。

リスクをひとつも負おうとしないひとなんて、嫌われますからね。いるでしょう? そんなひと。

回り道から最初に戻って

最初の話に戻ります。

ぼくは決して、優秀な人間よりダメな人間のほうが伸びる、なんて思っていません。たしかに、最初の頃から「優秀だ」と言われる人材が見栄を張って途中でうまくいかなくなるということが多々あることは事実です。とはいえ「優秀」なほうが優秀なのは間違いありません。先の記事の場合で言えば、最初に優秀だったひとはたまたま墜ちたか、ダメだったほうに才能と運があっただけです。だから、そんなこと、気にしちゃいけないんです。

目立っているなら目立てばいいんです。結局、仕事なんて日々勉強なんだから、それを怠らなければ、何も起こせませんよ。

いろんな話に手を出しましたが、何が言いたいかというと、いいことも悪いことも、周りの声なんてノイズでしかないのだから、ただ自分のやりたいこと、自分の目指したいところを真摯に目指すべきだ、という、サラリーマン生活を数年続けたぼくなりの説教でした。

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